0- ベルリンノカベ

 

ベルリンノカベ

 ベルリンの壁は歴史の転換点として多くの人に知られている。教科書では米ソ冷戦の象徴として必ず取りあげられ、もはやテストに出題されることもない常識的な事件だろう。ときおりテレビに流れるドキュメンタリー番組では壁の上によじ登り再会をよろこびあう人々の映像がうつしだされ、インターネットの検索にはハンマーを振り下ろしコンクリートの壁を破壊している男性の写真がすぐにひっかかるはずだ。たいていの場合ベルリンの壁は東西を分断した無慈悲な悲劇、またはその一場面として理解されている。

 しかしこうした理解がくり返し上書きされることは、誰が設計し、どのように建てられたのかといった具体的な壁の姿を見えなくしてしまっている。壁が建てられた場所を地図に描き込むことができる人などいるだろうか。

 そこで本連載ではベルリンの壁を「建築」として扱う。つまり設計され構築されたものとして、建築で用いられる「図面」によってベルリンの壁を描く。図面のうえで現れる純粋なモノ同士の関わりに政治的要素が入りこむ余地はない。図面という特別な、しかしありふれた手続きによって立ち上がる壁を、ここでは「ベルリンノカベ」と呼ぶことにしよう。それは紋切型の政治の物語に回収されてしまわないリアルな壁のすがたであり、そこからしか浮かび上がらない政治性もまたあるはずだ。

壁はどこを走っていたのか

 はじめに確認しておきたい。ベルリンの壁(以下、《壁》)はどこを走っていたのだろうか。《壁》はベルリンをただ真っ二つに割った線なのだろうか(図1)。しかしまずは教科書的に《壁》の歴史から辿ることにしよう。

図1 ベルリンを分断した「いわゆる」壁のイメージ

 第二次世界大戦でドイツは敗れた。そしてアメリカ合衆国、イギリス、フランス、ソヴィエト連邦の4カ国に分割統治されることになった。しかし西側諸国とソヴィエトの共同統治などという甘い期待はすっかり裏切られることになる。東側は「共産主義革命」を、西側は「共産主義からの解放」を唱え、ドイツは文字通り東西に分断されてしまった。

 ここで注意しなければならないのはベルリンの位置だ(図2)。そもそもベルリンはドイツの東側に位置していた。しかし、首都であるベルリンはすべてがソヴィエトに統治されたわけではない。国家と同様に首都もまた東西に分割されたのである。

図2 ベルリンの位置関係(赤:ベルリンの壁)

 では、《壁》はなぜ建設されたのか。東から西へと逃亡する人が後を絶たなかったからだ。社会主義国家の東ドイツでは国家が国民を厳しく監視・統制するだけでなく、税の負担も重く生活条件は過酷になるばかりであった。分割統治が日を経るにつれ、西ベルリンへの脱国者の数は急増。ソヴィエトは東ドイツを存続させるために西側への逃走を防ぐことが急務と考えたのだ。

 そして1961年8月12日の深夜、東西の境界線に沿って《壁》が建設された。このときの《壁》はよく知られているコンクリートの壁ではない。有刺鉄線による簡易の障壁である。この有刺鉄線は進化をくり返しやがてコンクリートの壁に至るのだが、とにかく東ドイツ政府は念入りな計画を立て、一夜にして境界線上に有刺鉄線を張り巡らせた。その境界線は先ほど確認したとおりだ。《壁》はベルリンを東西に「分けた」のではない。外周155kmにわたって西ベルリンを「包囲した」のである(図3)。

図3 包囲された西ベルリン

五つの視点

 《壁》の姿がいくらか鮮明になってきた。ここから本連載では以下の五つの視点でさらに具体的に描いていく。

01- 乱れる壁  /  Entangled walls

02- 有刺鉄線をとびこえて  /  Beyond the barbed wire

03- 殺された教会  /  The wall killed two churches

04- すべては双子からはじまった  /  All from the twins

05- あるアパートの一生  /  Biography of an apartment

 境界線に沿って《壁》は建設された、と述べた。しかし実際には《壁》のラインと東西境界線はぴったり一致するわけではない。それどころか、冷たく計画的に建設されたと思われている《壁》は、じつはその時々にあわせた場当たり的なしぐさをしている。第一回では《壁》が境界線から乱れている地点に着目し、そこで生まれた環境について論じていく。

 第二回では一夜にして西ベルリンを包囲した有刺鉄線がコンクリートの壁へと進化するその変遷を追う。《壁》は有刺鉄線、瓦礫、コンクリートとかたちを変え、ついには二枚の壁に両側を挟まれた射撃空間を持つことになる。ここであつかうのは変容する《壁》と逃走者の闘いである。

 つづく第三回は《壁》の内部に閉じ込められた二つの教会についてである。離れた場所に立つその二つの教会は、偶然にも対照的な結末をむかえる。そこから可視化されるのは《壁》の暴食性だ。

 そしてベルリンという都市の誕生まで視点を一気に引いていく。第四回では、《壁》の一部が十七世紀に築かれた城壁の位置と重なることを明らかにする。六〇〇年という時間のスケールのなかで《壁》を位置づける。

 第五回では、境界線の上に建っていたばかりに壁面が《壁》に飲み込まれてしまったとあるアパートに目を向ける。一つのアパートの生涯を徹底的に紐解くことで、これまでの連載を串刺しにする。

 本連載はベルリンの壁を「建築」として描く。その作業を通して抽象的なベルリンの壁を穿つ、いくつかの視点場をつくりたい。

2022.06.01

ライター

塚本貴文・山﨑晃

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